2026年は「丙午(ひのえうま)」の年です。
「丙午の年に生まれた女性は気性が激しい」という迷信があり、前の丙午の1966年には、生まれた子どもの数がガクッと減りました。
この記事では、
- 丙午とはなにか
- 迷信はどこから来たのか
- 明治と昭和の丙午に何が起きたか
- 本当に火事は多かったのか
- 2026年はどうなっているか
を、数字を見ながら追っていきます。
この記事のポイント
- 丙午は干支の43番目。中国では丙午・丁未の2年が「国が乱れる年」とされた
- 1966年は迷信で出生数が前年より25%減り、翌年は42%増えた
- 2026年の上半期は、前の年よりわずかに増えている(速報)
丙午ってなに?
丙午は、干支(えと)の43番目です。
- 干支は、十干(甲・乙・丙…の10個)と十二支(子・丑・寅…の12個)を組み合わせた60通り
- 60年でひと回りするので、丙午は60年に1度やってくる
- 最近の丙午は1906年(明治39年)、1966年(昭和41年)、そして2026年
なぜ「火の年」なのか
陰陽五行では、
- 丙:火の兄(ひのえ)
- 午:方角では真南で、これも火
と、火が2つ重なります。ここから「火事の多い年」と言われるようになりました。
ポイント
占いの暦では、年の干支は1月1日ではなく立春で切り替わります。2026年の立春は2月4日なので、九星気学や四柱推命では、2026年1月生まれの人は前の年の「乙巳(きのとみ)」になります。
迷信はどこから来た?
もとは中国の考え方ですが、日本に来てから中身が変わっていきました。
中国では「国が乱れる2年」
中国で悪いとされたのは、丙午と次の丁未(ひのとひつじ)の2年セット。それも火事ではなく、国が乱れる年でした。
- 北宋の終わりごろから言われるようになった。ちょうど1126〜27年(丙午・丁未)に、北宋の都が攻め落とされている
- 南宋の学者は「丁未のほうがさらにひどい」とまで書いている
中国の学者たちの記録
- 洪邁(こうまい)『容斎五筆』:「丙午・丁未の年には、中国は決まって変事にあう。国の中から乱れるか、外の敵に攻められる」と書き、漢の時代からの例を並べた
- 柴望(さいぼう)『丙丁亀鑑』:1246年(これも丙午)、丙午・丁未の災い21回を集めて皇帝に差し出したが、宰相の機嫌をそこねて牢に入れられた
- 清の『四庫全書』の解説:この本を、年の干支から禍福を引き出す「こじつけ」だと評している
丙午と丁未を合わせて「赤馬紅羊(せきばこうよう)」と呼ぶこともあります。丙・丁は火で赤、午は馬、未は羊だからです。
日本では「火事」と「女性」の話に
- 江戸時代の日本:「丙午の年は火事が多い」という話に変わる
- 女性の話になる:女性について書かれた古い例は、1662年の俳諧の本。はじめは「丙午の男は妻を、女は夫を殺す」と、男女の区別はなかった
- 女性だけが嫌われるように:実際の騒ぎの記録は1726年からあり、18世紀を通じて、丙午生まれの女性ばかりが嫌われるようになる
江戸時代の随筆『燕石雑志』には、「丙午の女は必ず男を食う」と世間で言われている、と書かれています。
八百屋お七
恋人に会いたくて放火したとされる「八百屋お七」も、丙午生まれと語られてきました。お七の話は人形浄瑠璃や草子(読みもの)になり、迷信が広まる一因になったといわれます。
明治の丙午(1906年)
明治39年の丙午では、出生数が前の年より約5万8000人(約4%)減りました。
| 年 | 出生数 |
|---|---|
| 1905年 | 145万2770人 |
| 1906年(丙午) | 139万4295人 |
| 1907年 | 161万4472人 |
ただ、この減り方は、生まれるのを避けたからだけではないようです。
- 丙午の年に生まれた女の子を、前の年や次の年の生まれとして届け出た例があった
- 明治の終わりの研究から、すでにこの届け出のずれが指摘されていた
- 丙午生まれの研究者・吉川徹さんの本では、減った分の約4割は届け出によるもの、という見方が紹介されている
丙午生まれの女性たち
1906年生まれの女性が結婚の年ごろを迎えた大正の終わりから昭和の初めには、縁談がないことを悩んだ女性の悲しい事件が新聞で報じられました。こうした報道が、迷信を人々の記憶に強く残すことになりました。
昭和の丙午(1966年)
昭和41年の丙午では、減り方がずっと大きくなりました。
| 年 | 出生数 | 合計特殊出生率 |
|---|---|---|
| 1965年 | 182万3697人 | 2.14 |
| 1966年(丙午) | 136万0974人 | 1.58 |
| 1967年 | 193万5647人 | 2.23 |
- 出生数は前の年より約46万人(25%)減り、翌年は42%増えた
- 合計特殊出生率の1.58は、1989年の1.57(「1.57ショック」)まで、いちばん低い記録だった
なぜ明治より大きく減ったのか
当時の厚生省の報告や、その後の研究では、こう見られています。
- 避妊で時期をずらした:避妊の方法が広まり、夫婦が子どもをもつ時期を1年ずらせるようになった
- 中絶はほとんど増えていない:届け出のあった人工中絶の件数に、目立つ増加はなかった
- 届け出の操作は小さい:病院で産むのが当たり前になり、生まれた日をごまかしにくくなった。届け出の操作の影響は2%ほどとされる
- みんな知っていた:厚生省の調査では、40歳未満の妻の98%が丙午のことを知っていて、30%が「その年には産みたくない」と答えていた
1964年ごろから、新聞・テレビ・雑誌が丙午をさかんに取り上げていたことも、影響したと考えられています。
丙午生まれの人は、その後どうなった?
慶應義塾大学の赤林英夫さんが、国の統計から1966年生まれのその後を調べています。
- 同い年が少ないので、受験では国公立大学に進んだ割合が前後の年より高かった
- 一方で、結婚した割合は、男女とも前後の年より低かった
1906年生まれの女性では、働いている人の割合が前後の年より高かった、ということも分かっています。どれも統計からの話で、迷信が当たったという意味ではありません。
本当に火事は多かった?
当時の消防白書で、全国の火事の件数を見てみます。
| 年 | 出火件数 | 死者 |
|---|---|---|
| 1964年 | 4万9020件 | 940人 |
| 1965年 | 5万4157件 | 965人 |
| 1966年(丙午) | 4万8057件 | 1111人 |
| 1967年 | 5万4506件 | 1106人 |
- 1966年の出火件数は、戦後でいちばん多かった前の年より6100件少ない
- 死者は増えたが、そのうち51人は羽田空港の飛行機の火災。翌年もほぼ同じ人数なので、丙午の年だけが多いわけではない
- 東京消防庁も、丙午の年に火事が特に多かったという事実は確認されていない、としている
江戸時代は?
江戸の主な大火15件を干支に直してみると、丙午の年は0件でした。
ただ、丙午は60年に1度なので、15件のうち丙午の年に当たるのは、ふつうでも平均0.25件です。これだけでは数が少なすぎて、多いとも少ないとも言えません。
令和の丙午(2026年)
では、2026年はどうでしょうか。
まず、前の年までの流れです。
- 2025年の出生数は67万1236人、合計特殊出生率は1.14(厚生労働省の概数)
- 1966年の約136万人の、およそ半分
そして、2026年の途中までの数字です。
- 1〜6月の出生数は34万2068人で、前の年の同じ時期より0.8%増えた(厚生労働省の速報。外国人なども含む数)
- 上半期として増えたのは11年ぶり
- 1年分の結果が出るのは、2027年になってから
気にする人は少なくなった
- 育児情報サイトのベビーカレンダーが、妊娠中・育児中の935人に聞いた調査(2025年12月発表)では、76.2%が「迷信は気にせず、計画を優先したい(した)」と答えた
- 一方で、12.4%が周りから丙午について何か言われたことがあり、相手は実の母がいちばん多かった
- 日本総合研究所の藤波匠さんは、今の親は平均で30歳くらいで、迷信のために出産を1年先に延ばす余裕はない、と見ている
まとめ
- 丙午は干支の43番目で、60年に1度。占いの暦では立春から始まり、2026年は2月4日から
- 中国ではもともと、丙午・丁未の2年が「国が乱れる年」とされた。日本の江戸時代に「火事」、さらに「女性の気性」の話へ変わっていった
- 実際の火事は、1966年はむしろ前の年より少なかった
- 1966年は出生数が25%減った。避妊で時期をずらせるようになったことが大きく、明治の丙午では届け出のずらしも目立った
- 2026年は、上半期の速報では前の年よりわずかに増えている
丙午は、生まれた年の干支の2文字にすぎません。占いでは、年・月・日・時間まで合わせて見るのがふつうです。今年の方角の吉凶は、九星気学のツールで見られます。
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